赤十字の宇崎ちゃんポスター問題が未だに騒がれている。なんでこんなに長いのか?と思うし、フェミニズムの方々がTwitterでつぶやいている内容は全く同意できないことが多い。ちょうど日曜日に献血しに行ったが予約や待ちが多くて1時間30分かかった。大阪では話題のクリアファイルはもらえないようだ(笑)
さて、この問題はもうあんまり議論することもなくて、フェミニストの方々のダメなところばかり出てきたが、「おっ」と思える意見があった。finalventさんの下記の記事、初めて論理的だし道理があるな、と思った。
レースクイーン廃止問題と同じ流れ
finalventさんは下記のように書かれている。
私が、このポスターを好ましくないと考えるのは、非常に単純な理由からである。内閣府男女共同参画局が平成15年に発表した『男女共同参画の視点からの公的広報の手引』「5-1 女性を飾り物として使っていませんか?」の以下の指針に反するからである。
女性を飾り物として使っている、つまり宇崎ちゃんを飾り物として使っているということだ。だからダメだという。
この考え方、少し前に話題になったレースクイーン廃止問題と同じ考え方だ。レースクイーン(グリッドガールというらしい)も、本来F1レースと関係がない存在だ。華を添えるとは言うが、それは女性を飾り物にしており、それは良くないということで廃止されることになった。
さらに同じような理由から、世界中のモーターショーではコンパニオンが廃止されている。こちらも車の本質的な魅力を伝えるのではなく、女性を飾り物にしているからというのが大きな要因の一つだろう。
このように「本質を伝えず、女性を飾り物としているものすべてに反対」というのであれば、それは筋が通っていると思う。ビールのポスターで水着を着ているものも、ポスターとして禁止だろう。ビールと女性は本来全く関係がないわけで、水着になる必要だってないわけだ。
この考え方での批判なら、私も「それは議論の余地があるな」とは思う。
女性性を仕事にすること、2次元と3次元の違い
ただ、私は個人的にそういう女性の仕事・役割を全く否定しない。確かに人間、男性・女性が平等・公平で生きられたらいいし、生き生きとやりたいことだけして生きられたらいい。しかし人によっては女性性をウリにすることが生きがいという人もいるだろうし、それが強みという人もいる。
であれば、女性性を仕事にしている人たちの生きる場を削るのは個人的には反対だ。とは言え、今回は3次元ではなく2次元のイラストだ。2次元のイラストすらも女性を飾り物にするのでダメという理論に当てはまるのだろうか?そこは議論があるだろう。3次元の女性の尊厳を傷つけているのかどうか、議論の余地はあるだろう。
私個人としては全然やっていいと思うが、さてどうなんだろうか?