ナイスミドルになりたい~松本孝行のブログ~

教育とか雇用とかの社会問題、後は趣味のマンガを中心にしたテーマで書いてます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

目で見て盗めを否定すると、損をするのは「できない人たち」

職人さんの教育方法として、昔から行われていたのが「目で見て盗む」だ。つまり直接的に職人さんは教えないし、職人さんのやっていることを見て自主的に練習して、そうして技術を身につける。

おそらく職人さんの後継者がいないので、そういう古いやり方をやめてしっかり教えるべきだということなのだろう。時代の流れではあるけれども、確かに8割くらいは賛成だ。

とはいえ、すべてがすべて「目で見て盗め」を否定すると、損をするのは教えられる側だ。とりわけ教えられたけれどもうまく行かなかった人はすごく損をする。

「丁寧に教えてくれなかったから」という言い訳

私も短大や施設で教える側として働いているのだが、教えるときには丁寧に教えるようにしている。できるだけわかりやすく、そしてやる気を盛り上げてモチベーションを維持させながら学べるようにしているつもりだ。

もちろんそれでもなかなか伝わらないことも多い。パソコンなどは苦手な人も多いので、どうしてもできないという人はいる。どんなに丁寧に教えても、個別で時間もお金もいくらでもかけられるならいいが、そんな現場はない。限られた時間やツール・労力・人員で教えないと行けない。

しかし丁寧に教えてうまくいかない場合、それは教えられる側の逃げ道を塞いでいるなということに気づいた。丁寧に教えられていながらできない場合、それは「教えてもらっている自分の才能がないんだ。能力がないんだ」と考えてしまうのだ。それは当然だろう、丁寧に教えてくれているのにもかかわらず、できないのだから。

もしこれが「見て盗め」という教育方針だったらどうだろうか。「見て盗め」ができない場合は「ちゃんと教えてもらわなかったから、できなかったんだ」という理由付けができる。つまり自分自身を責めなくても済むのだ。逆に言えば丁寧に教えるというのは、できない人たちを責めるとも言える。

できる人には丁寧に教えるのは無駄

できない人にしてみれば丁寧に教えるのはその人を追い詰めることになるが、逆によくできる優秀な人はどうだろうか?できる人にしてみれば、懇切丁寧に教えてもらうよりも、まずは見て盗んであとは自分で自主的に試してみてうまくいく方法を見つける、ということができる。

丁寧に教えてもらう時間のほうが退屈に思えたり、無駄に思えたりするだろう。最近では大学の授業など、ネットで見られるようになっている。そのため、優秀な人達にしてみると「大学に行くのは無駄」とよく主張するのを見る。動画を1時間見るより、文字起こしを10分で読んだほうがいい、などというのもよく聞く。

できる人にしてみれば、効率的に情報を収集できる方が良い。丁寧に教えるというのは時間がかかるものだし、人数が多くなると横並びにならざるを得ない。中央値の人に合わせた教育は中間層には良いが、できる人にとってみれば苦痛でしかないのではなかろうか。

教える側の負担も考えてほしい

もう一つ、教える側の負担についても考えたほうがいい。教える側も丁寧に教える場合はマンツーマンになって、自分の時間を削りつつ教えることになる。そしてわかるように、手取り足取り、言い方もいろいろな角度で言い方を替えたり、見せたり、やって褒めたりと工夫しなければいけない。

逆に見て盗めであればそういった苦労はゼロだ。全く苦労せずにどんどん伸びてくれるので、教える側は楽だ。教えていると言えるかはわからないが。

その中間が集団での教育だが、集団教育の場合はどうしても落ちこぼれる人が出てくる。できる人にしてみれば退屈だし、出来ない人にしてみれば苦痛だ。中間層の人にとって見ればちょうどいいのだろうが。

丁寧に教えられる余裕があるなら教えるだろうが、いつでも365日24時間余裕があるわけじゃない。教えてくれる人もまた人間なのだから、教えてもらう側は教える側の負担も頭に入れておいてほしい。

レベルに合わせた教え方が必要

見て盗めが通じる人は一般的にセンス・才能・能力がある人なのは間違いない。逆に言えばそれができない人のほうが大多数で、中間層は丁寧に教えてもらうのが良い。ただ、できない人・能力の低い人にしてみれば、丁寧に教えてもらうのもまた逃げ道を塞いでしまう。

できる人には効率的に無駄を省いた教え方を、中間層には丁寧に教えて、できない人にはまた別のやり方が必要だろう。レベルごとに分けた教えた方が必要ではなかろうか。できる人たちだけ集まり、効率的に学び、中間層だけを集めて丁寧に教える。そしてできない人には個別のやり方を考えつつ教える。

そういう教育が必要なのかもしれない。