いや、だから残業が多すぎてブラックなら、文句言うべきは、労働組合なんですよ。労働組合がないなら、作ればいいだけ。それが面倒くさい奴は会社やめればいいだけ。ザッツ・オール。 https://t.co/ntCxHVpmtf
— 田端 信太郎@「ブランド人になれ!」7月発売 (@tabbata) 2018年6月2日
別に田端さんを手放しで支持するわけじゃないけれども、個人的には高プロについてはほとんど気にしていない。というか、これを気にしているのは旧リベラルであって、新リベラルの人たちはほとんど話題にしていないというのも過去記事で紹介した。
高プロを入れたところで大した影響はないと思っている。なぜか。労働者教育が企業へ求める倫理観よりも遅れているからだ。今必要なのは企業へ高い倫理観を持って経営するように法律で縛ることではなく、労働者として自分の権利・利益を守る方法を教えるほうが先だ。
一言でいえば逃げる方法を教えるべきだと思っている。
違法企業は根絶させられるか?
例えば、全く犯罪のない社会を作ることができるだろうか?「犯罪のない社会を作ることができる!」と強く主張する人もまぁいるかもしれない。だが、現実的には犯罪をゼロにすることはできない。とはいえ、犯罪がどんどん起こっていいわけではなく、しっかりと犯罪を減らすための施策は打たなければいけない。
一方、我々は個々人で犯罪から身を護るよう自立的に動いている。例えば
- 危ない場所には立ち寄らない
- 怪しい人がいたら距離を取る
女性であれば催涙スプレーやスタンガンを持つなんていう人もいるだろう。お金持ちだったら治安が良いところに住む、子供を私学の小中学校に入れるということをしている家庭も少なくない。
つまり
犯罪を減らすという努力
と同時に
自分自身の身を守るための努力
が必要になる。
これは誰もがわかっていることで今更言うことではないと思う。ただそれが「過労死」や「労働」の話になるとかなり一方的な話になる。過労死が起これば「会社に問題がある」やブラック企業の話になれば「経営者が悪い」というように。そういった会社から身を守るための方法が語られることはほとんどない。
もちろん企業に対して法で不正を縛ることは悪いことじゃないし必要なことだ。しかし個々人の幸福のことを考えれば、もっと我々一人一人が自分自身の身を守るためのことを考えるのも大事なはずだ。労働問題に置いては、このバランスがあまりにも企業側への締め付けに偏りすぎているように思う。
企業は労働者が変えられるものである
また、我々の行動一つ一つによって企業は変わっていく。逆に言えば誰も動かなければ、企業は行動を変えないのだ。
その良い事例が非正規雇用の給与が上がっているという点だ。非正規雇用の給与は3年も続けて伸びている。非正規雇用の給与が伸びている理由の一つが「人手不足」だ。全然応募がない、いい人材が来ないから企業は給与を上げて人材募集を行っている。
一般的に日本では非正規雇用は弱い立場だとされている。しかし、なかなか人材が集まらない、応募してくれないのであれば企業は時給を上げるのだ。時給を上げるだけでなく、週2日から働いてもOKであるとか、1日4時間からOKなど、柔軟な働き方を企業側から提案してきたりする。
本来であれば企業側は労働者に対して強く出れるはずだが、このように人が来なければ下手に出るのだ。労働者の行動によって、企業側は行動を変えるという良い見本だろう。
就職してからが権利を守る戦いの本番だ
先述した事例は新卒採用についてだ。「釣った魚に餌をやらない」という慣用句があるように、一度就職した・雇用した従業員に対して冷たくなるということは多くの企業で見られる。つまり採用されてからが自分自身の権利・利益を守る本当の戦いということだ。
採用されてから企業側がもしおかしなことをしてくるようであれば、戦えば良い。労働組合と一緒に戦うのもいいだろう。もし戦うほどの価値もない企業・仕事であれば、退職して転職をすればいい。個々人の幸福を考えれば、やめて他の会社に入るほうが合理的だ。特に今は求職者側の方が強い立場にある人手不足の時代なので、転職もしやすい。
この部分、つまり自分自身で企業と戦うかもしくは企業から逃げるかのどちらかを選択すべきなのだが、その戦い方・逃げ方というのを教えてもらっていないのではないだろうか。真面目に取り組むのは悪いことではないが、過労死するほどまでに真面目に仕事をする必要はないということをもっと周りが支援したほうがいい。
特に労働組合についてはもっと自分たちの責任を感じたほうがいいと思う。過労死の問題が出た時に労働組合としてもっとできることがあったのではないか?過労死が出ないために、もっとできることがあるのではないか?給料を上げることも大事だが、労働者の命を守る手助けをしたほうがいいのではないか。
もちろん労働者側の言い分がおかしければ批判されてしかるべきだ。おかしなことを主張すれば、企業側から更に冷遇されることもあるだろう。例えば「全く何も仕事をしないで金をくれ」みたいな、下記のフミコフミオさんの文章に出てくるような従業員であれば、それは会社側から冷遇されるだろう。
自分自身の幸福のためには自分は自分で守るべきだ、企業に守ってもらおうと思ってはいけない。もちろん企業側に対して求めていくということもすべきだし、自らが幸福になるための行動はどんどんすべきだろう。日本の労働者はおとなしいと言われることが多いが、おとなしいというよりも企業や国といった「お上」が決めてくれたとおりに動くのが良いと考えている人が多いのかもしれない。
先日、私もある人と話をしたが「企業は労働者の人生の面倒を見ないといけない」と言っていた。その方は労働者側の人だが、企業に面倒を見てもらおう・企業の言うことを聞いていれば人生安泰であるべきだ、と考えている人も少なくないということかもしれない。
まさに下記の田端さんの言う通り「権利の上に眠るものは保護されない」ということなのかもしれないね。
所詮は民事だから、殺人罪の適用にならないということでしょう?
— 田端 信太郎@「ブランド人になれ!」7月発売 (@tabbata) 2018年6月2日
権利を主張するガッツのないチキンの権利が保護されるわけないじゃんね。
「権利の上に眠るものは法の保護に値せず」ってやつですよ。 https://t.co/NObbgvy70C