高度プロフェッショナル制度、通称「高プロ」に関する法案が可決されることは間違いないということで、旧リベラルな方々がコレに対して反対している。だが、新リベラルからはほとんど反対の声は聞かない。というか、話題にすらしていない。そんなことより受動喫煙防止だったり保育所建設だとか、眼の前の課題の方に集中している。
で、私はどうか?というと、高度プロフェッショナル制度を批判している方々の理論がいまいちよくわからない。そんなことよりももっと大事な、労働者を守るために必要なことがあるのではないか?
過労死と高度プロフェッショナル制度は関係ないよ。どんな制度ができても無理に働かせる企業は出てくるし、それに従う人も出てくる。暴力団がなくならないのと同じ。労働者守りたいなら逃げるよう運動するのがいい / “高プロ成立後は「とりあ…” https://t.co/oZzGfXQsWb
— 松本孝行〜発達障害でも学べるIT・WEBスクール準備中〜 (@outroad) 2018年5月27日
過労死認定されなくなることが問題なのか?
例えば上記のBlogで批判されている部分は「過労死認定が困難になる」という点だ。契約上問題がないのだから、24時間働かせていたとしてもそれは過労死認定されなくなるだろうということだ。
これ、どうしてそういう思考になるの?と思うが、そもそも労働契約と過労死は直接的には関係がない。過労死した人たち全員が労働契約違反で働いていたかというとそうではない。例えば下記の記事は元労働基準監督署で働いていた社労士さんのブログだが、36協定で法的に問題がないとしても、損害賠償義務は免れないとしている。
これは高プロが入っても同じことだろう。たとえ高プロで認められている働き方で、24時間365日働かせるとしても、それで健康を害して亡くなれば損害賠償義務は免れない。結果的に民事裁判で過労死として判定されることになるわけだ。
なのでこの指摘はまったく見当違いではないかと思う。
そもそも過労死しては意味がない
で、そもそもの話なのだが過労死認定されるんだったら高プロOKなのだろうか?そうではないはずだ。過労で死んでしまったら元も子もない。大事なことはそういった過度な残業・パワハラ・法律違反の仕事を指示する会社で仕事をしないようにすることだ。労働者を守るなら死ぬ前に守るべきだろう。
であるならば、高プロ云々よりも先ず就職する前にその企業のことをしっかりと情報提供するとか、働いたとしてもすぐに転職するように薦めるだとか、自分の身の守り方を労働者が学ぶべきだろう。たとえ死んで過労死判定されても、死んだ人は返ってこないのだから、死ぬ前に対策しなければならない。
労働者保護を考えるのであれば、従業員がいわゆるブラック企業に出会った時にどうすべきか?ということを啓蒙するほうがよっぽど役立つはずだ。もっと言えば必ず労働組合が助けるというのも一つの方法だと思う。そういった地道な活動を行っていかねば、結果的に高プロが導入されてもされなくても、過労・パワハラで亡くなってしまう人は後を絶たないだろう。
高プロのことを議論する暇があるなら、労働者をどうやって守るか?をもっと考えるべきではなかろうか。