身体的な健康に悪いけれども酒もタバコもやめられないっていう人は多い。タバコはしないけれども、酒については飲むのでよくわかる。
とは言え依存症というほどではないので、酒については飲まないときは飲まない。例えば明日の朝が早い・大事なイベントがあるなどのときは飲まないし、夜に集中して作業したいときにも飲まない。また連日飲み会が続いたりしたら、1~2日は飲まない。今は結石が降りてきているので、痛むときは飲まない。
毎日飲まないとやってられないとか、数時間ですらタバコをやめられないという人は依存症だとは思うが、そうではない人も習慣的にやめられないことは多い。ただ、これは人間の性ではないかと思う。
リストカットとランニングは同じ
やめられないということであれば、アンダーグラウンドな話としてリストカットがある。私も全く理解出来ないが、リストカットをすると安心するという人は多い。女性に多い傾向があるように思うが、脳内では落ち着けるような脳内物質が出ているとのこと。だから落ち着くしやめられない。
またランニングも「ランナーズハイ」という言葉を聞いたことがある人も多いように、走り続けていると苦しさがなくなる瞬間がある。脳内物質が出まくって、疲れを感じないようになるわけだ。これも本質的にはリストカットと似たようなもんだろう。「ランニングをして気持ちがいい」と「リストカットでスッキリする」は脳の動きで言えば似ているようだ。
ちなみにランニングも体にいいのか?といえば良くはない。運動として激しすぎるからだ。だからランニングよりもウォーキングが推奨される。体に良くないという意味ではリストカットもランニングも一緒だ。
タバコも酒も安心を求めている
そして酒もタバコも同じように安心するとかスッキリするとか気分が良くなるとか、そういったことのために行っている。決して健康に良いと思ってやっているわけではない。バーテンダーというマンガには「酒は魂を癒やしてくれる」と紹介されるが、まさにそのような効果を求めている。
健康のために良いことをするというのは確かに身体にとってはいい。身体にとってはいいが、じゃあ魂にとってはいいのか?というとそうではない。たいていあまり美味しくない物を食べないといけないし、適度な運動も必要だ。そして睡眠時間も取らないといけない。
健康のために、身体のためにいいことが必ずしも自分の安心や魂の癒やしにつながるわけではない。ここが人間社会の矛盾点であり、面白い部分でもあるのかなとも思う。健康に良いものを全員が魂の癒やしと感じられるなら、矛盾はなかったのだが人間社会はそううまく行かないようだ。
おそらく隊長はストレスや不安と言ったものが昔に比べて減ったのだろう。そして安心やストレス発散ができる別の物ができたのだろう。たぶん結婚して家族ができたことが大きいのではないか?と感じた。だからウォッカ1本空けることもなくなったのだと思う。
ちなみに俺も明日のためにとか、連続して飲み会が続いたときは飲まないなど、酒を飲まない。それはおそらく「明日の仕事が自分の人生にとって大事」であるとか「明日恋人と遊ぶから、そのために元気でいよう」とかそういう酒やタバコで得られる安心よりも大事なものがあるからではないかと思っている。
人間、健康だけで生きられるものではない。健康を損ねてでも安心や生きがいと言ったものを見つけたいのが人間だと思う。だから酒や煙草、リストカットなど一般的に身体に悪いものの代わりに、安心や生きがいをもっと若い頃に見つけられるようにしておく教育が必要なのかもしれない。