日本電産の永守さん、叱ることが大事とのこと。三つ褒めて一つ叱るというパターンから入り、最終的には褒める・叱るの割合を50:50にしていくというものだそうだ。ポイントは褒めるというところを減らさないところだろう。叱ることは増えるが、おそらく業務レベルが上がるので叱る回数も増えてしまうのだろう。
ただ、今回は叱るもいいのだが褒めるということの先にある「認める」という物があると思うのだ。
障害を持つ子どもたちは褒められて来なかった
こちらのツイート画像を見てもらいたい。
今日も1日 pic.twitter.com/2aYLX6rKsY
— bot (@FriedGoatWoman) 2018年3月18日
これは発達障害を持った方々のたどる、スタンダードな道ではなかろうか。障害を持つ子どもたちの多くは子供の頃から褒められてきていない。授業についていけない、コミュニケーションができないなど、誰にも教えられずに育ってきた。
だから「どうしてあなたはできないの?」と言われ続けてきた子供が非常に多いとされている。本人からしても「どうしてできないのか、教えてほしい」という気持ちだろう。子供の頃に褒められてきていないために、このように自尊心が育たずにおとなになってしまうのだ。
そこで褒めるということ、認めるということが大事になってくる。そもそも上記で紹介した永守さんの例というのは定型発達の人たちである程度考える力がある人にだけ、通用することだ。そうではない人には叱ったところで「やっぱり私はダメなんだ」と思うだけだ。
で、褒めるというのも私個人としては考えることがあって、「すごいすごい」とか「さすがですね!」というのもいいと思うが、それ以上に「あなたはここにいていいんですよ」とか「あなたという存在は正しいのですよ」というのがわかるような感じを心がけている。
まずは自尊心を持ってもらう、これがなければ叱るも何も社員教育にならないのだから。
企業でどこまで教育すべきか?
こういった褒める・認めるということ、叱るということは基本的に「教育」の一つだ。しかしこの教育というのを社員教育として企業はどこまでやるべきなのだろうか?1から10までやるべきなのか?それとも半分まで教えてあとは自分で試行錯誤してもらうのがいいのだろうか。
そこで私がTwitterで少しやり取りさせていただいた例が下記だ。
こういう「教わるな、盗め」的な考えってのは老若男女かかわらずあるんかな?
— 松本孝行~放課後等デイサービス事業準備中~ (@outroad) 2018年3月15日
海外でも同じなんやろか? https://t.co/ZO65GpOdwJ
下の方まで見てもらえれば、やり取りをしている様子までわかると思うが個人的には全く社員教育ゼロというのは良くないと思っている。しかしだからといって10まで教えるのは違うと思うのだ。
ウェブサイト製作などをしてきた人の中にはほぼ独学で、誰にも教わらずに来たという人は多いだろう。フリーランスでやっている人にも多いと思うが、ウェブ系やIT系だと独学で教えられずにやるのが当たり前、と考えるかもしれない。
それでできる人はそれでいい。しかしできない人をどこまで教育すべきなのか?が問題だ。個人的にはきっかけを与えること、ビジネスとしての行動パターンを教えることなどはすべきだと思う。それこそ上記にツイートの中にあるように、きっかけは与えるべきだと思うのだ。例えば「この本を読んでみたらいい」とか「この人に会うといいよ」とか「こういうものをやってみな」とかだ。
そういったきっかけを与えて成長していける人材が増えるのであれば、それは社会にとっても本人にとっても企業にとってもメリットは大きい。だから社員教育としてはちょっとしたきっかけを与えてプラスの方向性・道を示すことは前を進む大人はすべきかなと考えている。
だからこそ入社前に職業訓練を
つまり私は会社で1から10まで教えるべきではないと思っており、かつ会社で社員教育にかけるコストは企業毎にバラバラだし、社員教育の主要な役割を企業だけに押し付けるべきではないと思っている。これは障害者就労でも同じだし、健常者の就労でも同じだと思う。
だからこそ障害者であれば放課後等デイサービス、就労移行支援などが、健常者であれば就職前の就労への訓練というのが大事になってくるのだ。国語算数なども大事だが、その上に就労に対しての心構えや行動様式というものに慣れておく必要があると思う。今は企業や労働者個人にそういったノウハウや仕事のやり方を任せすぎなのだ。
もっと日本でオープンマインドに仕事のやり方やノウハウが学べる、しかも入社前から。という状況になれば中小企業もベンチャー企業も、そして大企業も良い方向に変革していくのではなかろうか。