毎年恒例のガキの使い、笑ってはいけない。今年は蝶野さんのビンタがないのでは?と心配されたけれども、無事ビンタもありました。やはりあれを見なければ年を越せない(笑)
しかし今回のガキの使いでは浜ちゃんのエディーマーフィーのコスプレ(ビバリーヒルズコップのモノマネ)が「黒人差別だ!」と騒がれることになってしまった。
ただ私はこの流れにはまったく賛成しない。むしろこういう流れは自由主義を潰す、自由への挑戦だと思うので断固反対したい。
「黒塗りは黒人差別」はグローバルスタンダードではない
まず大前提として、下記のTwitterユーザーの方が調べて書いてくれているが、黒塗りは黒人差別と言うのはグローバルスタンダードではない。主にアメリカそして英国において差別であると主張する人が多い。フランスにも黒人は多いし、アジア圏にも黒人は多いが、だからといって黒塗りが差別だと言っているわけではないらしい。
①オーストラリア、セリーナ・ウィリアムズのファンが応援で。
— 風のハルキゲニア (@hkazano) 2018年1月2日
②カナダの大学生、ウサイン・ボルトに敬意を表して。
③フランスのサッカー選手。バスケチームへのトリビュート。
④ロシアのカーニバル。カメルーンのサッカーチームを応援するため。 pic.twitter.com/ZCeUbd3v7G
つまり黒塗りは黒人差別であると全世界のコンセンサスになっているわけではない。アメリカと一部イギリスで差別と言われている。逆に下記ツイートではインドで黒塗りをする女性は差別に対抗するために黒塗りをしているそうだ。黒塗り=差別ではなく、黒塗りが差別への対抗の証になっている。
インドでは肌の色とカーストが直結しているので、差別と戦うために顔を黒く塗る場合もある。大学でカースト差別に遭って自殺したダリット(不可触民)の女子大学院生に共感し、カースト制度に抗議するため肌を黒く塗って抗議活動を行った女性。 pic.twitter.com/x99GliTcIq
— 風のハルキゲニア (@hkazano) 2018年1月2日
というように、単純に顔を黒く塗るという行為は世界的に見ると差別とはみなされていない。しかしアメリカではどんな理由であろうとも黒く塗ると差別と感じる人がいるということだ。ちなみにアジアでも黒塗りで批判が起こったことがあるようだが、これは黒塗りそのものへの批判ではなく、その後ろにある文脈に批判が集まったようだ。
アジア圏のブラックフェイスにはまた別の文脈があって、特に東南アジアやインドでは肌の色が白いほど地位が高いという差別があるため、黒塗りの女性が白い女性をうらやむタイのCMや、中国系俳優が顔を褐色に塗ってフィリピン人メイドを演じたマレーシアのCMは抗議を受けることになる。 pic.twitter.com/DeLbeqvTv3
— 風のハルキゲニア (@hkazano) 2018年1月2日
自由・クリエイティブを守るために反論する
というわけで黒塗りは世界的に批判はされていないが、アメリカ・イギリスでは差別とされている。なので日本で差別と捉えられないと言うのはある種当然だろう。
で、私はなぜここまで「黒塗りは差別だ!」という主張に対して反論しているかというと、自由主義への挑戦だと思っているからだ。つまり自由を阻害する要因になりかねない、そう考えている。
もちろん差別はいけない。が、黒塗りそのものを差別的な行為であるとみなし、黒塗りを一切認めないという態度は自由を阻害する。文脈の中で差別する意図がない・差別する意図を感じないのであれば、批判すべきではないと思う。下記のツイートが私の考えそのものだといえる。
個人的に黒人のモノマネについて何か思い入れがあるわけじゃないけど、文脈関係なく絶対ダメという姿勢を支持してたら、お笑いもそうやしクリエイティブの範囲が狭くなるから嫌なんだよね。差別する意図がないクリエイティブができなくなり、自由がなくなるのはいいことじゃない。
— 松本孝行 (@outroad) 2018年1月4日
少し前にダルビッシュが差別的行為をされたことでニュースになったが、あれは文脈を見ても明らかに差別(よく言えば相手に「ざまあみろ!」と言いたかった)だと言える。だからこそ、多くの人が批判する声が上がったが異論反論はほとんどなかった。私もその一人だ。まぁアメリカはだいぶ厳しいなとは思ったが。
つまり侮蔑的な行為ではない行為に関しては文脈を見るべきであり、文脈を見ないで断罪するのは単純すぎるし、それは自由を阻害する。場合によってはお笑いの幅を狭めるし、ドラマや広告クリエイティブなどを狭める要因になりかねない。だからこそ私はこういった批判はまったく受け入れられない。
「ダウンタウンなんてどうなったって関係ない」という人も多いのかもしれないが、ダウンタウンだけでなく、自分や自分の周りもポリコレで縛ることで幸せになるとは到底思えない。日本を「メリークリスマス」が言えない国にしたくない。
自由と公平性、それを毀損するような事があるなら、私は断固として反対する。