障害に関するお話というのはTwitterでも結構多い。今回のTogetterの話題も発達障害に関するものだった。内容としては「発達障害と言うのは本人が怠けている、努力すれば治ると思っている人が世間にも多く、支援に携わる教師にも多い」というつぶやきだった。
確かにそういう人はいる。手足の欠損のようなわかりやすいものではないので、単にサボっているとか怠けている、本人の努力不足のように思われることが多いのが発達障害の特徴だ。だからこそ「努力すれば治るんだ!」と言う人がたくさん出てくるわけだ。
発達障害は克服できる部分も多い
こういった「怠けている・努力不足だ」という声に対して「そういうものじゃない」「努力しても治らない」「脳の障害なのだ」というつぶやきがまとめられている。実際これは間違いではないのだが、半分間違いとも言える。
そもそも発達障害というのは定義の範囲が広い。ADHD・ASD・LDの3つを合わせて発達障害と定義されているが、例えば広汎性発達障害という発達障害はいろいろな特徴を併せ持ち、ハッキリと何らかの形に当てはめる事はできないものだ。
定義の幅が広い発達障害だが、克服できる部分も多い。例えば定型発達と言われる「何歳にだいたいこのようなことを理解して、こんなことができる」というものがある。計算であれば四則演算は小学生の低学年でできるようになるだろう。コミュニケーションの方法も幼稚園から小学生で学ぶ。
しかしそれらの成長が遅い発達障害の人たちもいる。彼らは一生治らないわけではなく、単に発達が遅いだけで、数年経てば追いついてくる事が多い。コミュニケーションができなかった子も、20歳を超えると立派に周りと変わらなくなったりする。
またADHDは服薬することで症状が劇的に改善することが知られている。ADHDについてはずっと薬を飲み続ける必要があるにせよ、まったく健常者と変わらず生活することもできるようになった。
まぁ私が痛風の薬を毎日飲まないと、劇的に尿酸値が上がるのと同じようなものだ。薬のおかげで生きることができる人は多いのだ。
障害者は何も出来ないという決めつけのほうが横行していないか?
障害と名前がついているだけ会って、もちろん治らない・克服できない部分も多い。そういうところは「自分はこういう特性なのだ」と理解することが非常に大事だ。理解し、克服するのではなく上手に付き合っていくことで健常者と同じように生活することができる。
上手に付き合う方法を訓練で学べば、発達障害を持ちながらも豊かな生活を送ることは可能だ。
個人的に今回のTogetterのまとめを見て思ったのは「障害を持つ人に努力しろ!」という人よりも、福祉業界も世間も「障害者は何もできない」と決めつけて、一般社会と隔離しようとしている人のほうが多いのではないか?ということだ。
実際私も就労支援をチョコチョコ手伝っているわけだが、最初に聞いた話がまさにそういうことだった。「障害を持っているんだから、清掃しかできない」と決めつけ、他の選択肢を選ばせない、そんなことが当たり前の世界だった。努力をすることすら、させてもらえなかったように感じた。
まぁ就労の場面と教育の場面では少し違うのかもしれないが、少なくとも就労に当たっては「これしかできない」と決めつけている人のほうが多いのではなかろうか。
できることできないことは誰にでもある
発達障害に限らず、誰にだって得意不得意というのはある。どんなに努力してもうまくならないことはある。それをまず認めることから始めるべきだろう。
例えば私は美術に関してはてんでダメで、練習してもうまくなる余地が全然ない。絵を書いたりデザインをするのは本当に下手くそだ。発達障害でなくても、このようにできる・できないを持つのは当然のことではなかろうか。
であれば発達障害を持っていたとしても、その他障害を持っていたとしても、できることできないことは人それぞれあるものだ。その人のできることにフォーカスすべきだ。そしてその人のできることに集中して取り組んでもらえる環境を日本全体で作っていくべきだろう。
できないことをあげつらうことなど、何の生産性もない。もっとみんなが豊かに・幸せになるためにポジティブな視点を持つ必要があるのではなかろうか。