私の仕事はあんまりコンテンツ記事を書くとかはないんだけど、それでもネット広告系を扱っているものとして、この話題は注目している。よっぴーさんは批判があってから、タイトルにPRを極力入れるようになったようだが、私はそこまで配慮する必要があるのか?と思っている。
よっぴーさんが下記のように書いているが、この部分が本質だと思う。
その上で「タイトルにPR入れよう」と言うのであれば、その根拠は「広告を嫌う人への配慮」っていう問題になるわけでして、こうなってくると、例えば広告以外にも、何に対して配慮すべきで、何に対しては配慮すべきではないかの明確な線引きがないので「下ネタ嫌いな人への配慮」「アフィリエイトを嫌う人への配慮」「政治的な話題を嫌う人への配慮」みたいな話になってこないとも限りません。
広告はユーザーにどこまで配慮すべきか?という問題
つまりこの問題は「広告はどこまでユーザーに配慮すべきか?」という問題だと思う。今回は記事広告・タイアップ広告についての話だが、私の場合はリスティグやSNS広告をメインに扱っているので、そちらでの事例を出したいと思う。
アドネットワークだとどこまで配慮すべき?
まずアドネットワーク、いわゆるGoogleやYahoo!のディスプレイ広告と呼ばれるものがある。これは様々なサイトにバナー広告を出すことができるのだが、このディスプレイ広告のクリック数のうち、6割が約4%のユーザーによって占められていると言われている。いわゆるヘビークリッカー問題だ。
およそ4%のユーザーというのはおそらくアドネットワークのバナーを広告だと思っていない。バナーは画像リンク、文字広告はアンカーリンク程度に思っているのだろう。もちろんGoogleもYahoo!もちゃんとPR表記もあるし、わかりやすくサイズも規定している。が、それでも慣れていない人はガンガンクリックする。
広告を嫌うユーザーへの配慮というのであれば、ヘビークリッカーであるこの人たちには配慮しなくていいのか?彼らは広告だとわからずにクリックしているが、それでいいのだろうか?もしこの人達が確実に広告であると理解してもらうためには「これは広告です」という大きな文字を出した上で、バナーを出現させるなどが必要になるだろう。そこまでやるべきだろうか?
スマホ系バナー等、優先順位は高いのでは
もう一つ、アダルト系のバナー広告、特にスマホバナー広告はもっとひどい。透明の状態から徐々にバナーが表れて、誤ってタップを誘う仕組みになっていたりする。またスマホの真ん中辺りから下に降りていくバナーも、意図しないタップを誘発させる。
こちらの方は散々問題だと言われているのに、未だに対策が取られていない。ユーザーにまったく配慮しておらず、問題はこちらのほうが記事広告にPRを入れるかどうかよりも圧倒的に深刻だ。広告業界やデジタルコンテンツ業界全体から見れば、タイトルにPRと入れるかどうかという問題は、優先順位は低い。
またアダルト系の広告も問題が多い。最近よくあるのがアダルト動画だと思ってタップしたら「あなたのスマホはウイルスに感染しています」などと出て、アプリををインストールさせようとするものだ。しかもバイブレーションや音が出るなど、ウイルスに感染しているように見せかけてるのだから問題だ。
こういった多くのユーザーにとって影響の大きな問題は他にもあるはずだ。そちらの方に話を持っていってほしいと思う。
リテラシーの高い人ではなく中間層に合わせるべき
よっぴーさんも書かれているけれども、狭い界隈での意見で決めてしまったという点もポイントだと思う。タイトルにPRを入れる・入れないと言うものがどういう意味なのか?ということがわかる人は、ネットリテラシーがかなり高い人だ。誤クリックや誤タップもあまりせず、アドブロックなども入れているだろう。
そういうリテラシーの高い人たちにしてみれば、より快適なネット空間を目指す上で、自分が対処できる部分は自分で対処するだろう。しかしこの記事広告・タイアップ記事に関しては見ただけでは対処出来ない。だからPRを入れて対処できるようにしてほしいという願いもわかる。
ただそれはリテラシーの低い人にしてみれば、PRが入っている・いないはさほど重要ではない。それよりも「このコンテンツが企業の広告なのかどうか」をはっきりさせるほうが重要で、だからこそステマの問題と言うのは多くの人が批判した。それだけ多くの人に関わるからだ。
今回のPRをタイトルに入れる・入れない問題はリテラシーが高い人のための問題だと思う。なのであまりこの問題に真剣に取り組むと、やはりこれも徳力さんやよっぴーさんが言っているように、ルールを守ろうとしない企業・メディアが得をしかねない。自主的なものでもまだルール化すべきではないと個人的には思う。
ユーザーが快適にネットを楽しむために
リテラシーの高い人にしてみればあまり納得の行く落とし所ではないかもしれないけれども、多くのユーザーが快適にネットを楽しむためにと考えると、まだタイトルにPRを入れるべきとするのは時期尚早のように思う。
アドネットワークのヘビークリッカー問題などを見てもわかるように、どんなにルールをしっかりと作った広告であっても、やはりリテラシーの低い人にしてみれば見分けがつかない。しかしどんなにリテラシーの低い人にでも配慮をするとなると、ネットが自由でなくなる。もちろん逆もしかりだ。
もっと先にやるべき問題があり、そちらの対処が住んでユーザーの平均的なリテラシーが上がってきた頃に、またこの問題を議論すればいいのではなかろうか。